ゆず中1・もも小4と一緒におうちで英語学習!かけ流し、母の一方的な語りかけ、キンドル・リーダーの音読。母はなんちゃって帰国子女。
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どのくらいで英語が話せるようになったか
久しぶりに留学時代の話をしようと思います。前回の話はこちら

わたしは高校3年の時、全く英語が話せないまま現地のハイスクールに通い始めました。当初は話すことはもちろん、相手の話を聞き取ることも難しかったです。あいさつや毎日聞く簡単なフレーズは、3ヶ月ほどで一通り覚えました。例えば学校から帰る時は

See you tomorrow.


週末なら
Have a good weekend.
Hope you'll have a great weekend.


こういった簡単な文章がスムーズに口から出るようになったのが、3ヶ月くらいだったと思います。まだまだつっこんだ話はわからないし、自分の言いたいことは半分も言えません。毎日辞書を片手に格闘の日々です。

それでもクラブ活動に参加したり、自分から積極的に友達を家に呼んだりして、それなりに「ハイスクールライフ」を楽しんでいました。そして、一年後の卒業時には、だいたいのコミュニケーションは取れるようになっていました。もちろん、ネイティブの子と同じような論文を書くことはできなかったですし、同年代のネイティブの英語力と比べれば、うーん、2~3割程度でしょうか。

大学に入り、ルームメイトと生活を始めたことで、飛躍的に英語力が上がっていったと思います。渡米後2年で日常会話をするくらいなら、それほどストレスもなく話せるようになっていました。しかし、まだ「バイリンガル」の域には達しません。あくまでも「ちょっと英語ができる外国人」です。そして、3年4年と経ち、5年目くらいになると、さすがに言葉だけでなく文化までもどっぷり浸かるので、「アメリカで育ったんでしょ?」と言われるほどになっていました。

帰国後、周りに英語を話す人がいなくて、自分でも積極的に英語力の保持に努めていませんでした。そのためほとんど話せなくなった時期がありました。口が動かないというか、英語独特のリズムに乗れないのです。帰国後3~5年くらいの頃です。ここ2~3年は意識して英語を使っています。最近は娘達に読み聞かせをしたり、自分でもペーパーバックを読むようにしています。その結果、また元の英語力が戻ってきました。

「渡米後、どのくらいで英語が話せるようになったか」 -- これは渡米した時の年齢やそれまでの英語力も影響するので、あくまでも学生だったわたしの場合です。

・ 2年で「日常会話ができる」
・ 3~5年で「流暢」

最後に付け加えると、習得した英語力を保持するには「努力」が必要です。本を読む、映画を観る、友達を作るでもいいと思います。とにかく自分が好きで続けられる方法が一番です。娘達は今、本を通して毎日少しずつ英語に触れています。少しでも英語を聞き、音読することで、英語のベースができると思っています。まだ道のりは長いですが、長い目で見ていこうと思います。


☆ゆずが音読
ORT Stage 3 から - A Cat in the Tree

☆ももが音読
ORT Stage 2 から - Reds and Blues

☆英語で読み聞かせ
ORT Stage 3 から - By the Stream

☆日本語で読み聞かせ
たべもの


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わたしの英語学習暦 その7 ~大学生活スタート~
昨日の続き、大学生活について書きます。
前回記事はこちら↓
わたしの英語学習暦 その6 ~初めてのホームステイ~

☆ルームメイトと寮生活スタート


9月になり、いよいよ大学生活のスタートです。まず住む場所ですが、相変わらず英語に触れる時間を増やしたかった私は、キャンパス内の寮に住むことにしました。ルームメイトとの二人部屋。ルームメイトは同じく大学一年目(Freshman)の女の子。同じフロアに女子の二人部屋が8つほどあり、廊下を曲がると男子の二人部屋が同じ数ありました。角を曲がると男子部屋、というのはアメリカだな~と思ったのを覚えています。だって、男子はシャワーの後、タオル一枚で出てきたりするんですよ。ちなみにシャワールームも部屋と同じ並びにあります。女子はガウンを着て出入りしていました。

男女合わせて16部屋(32名)の一区画を House と呼んでいて、各ハウスには番号が振られていました。私のハウスのメンバーはほぼ全員が Freshman で、ハウスごとのアクティビティなどもあったので、すぐに仲良くなりました。上級生がハウスのリーダとして同じフロアに住んでいて、みんなのお姉さん的存在でした。一年目は全てが新鮮で、なんだかわいわいやって楽しんでいました。

☆何を専攻するか


授業は、ESLを取りながら通常のクラスをいくつか取っていました(わたしの英語学習暦 その5 ~大学進学~)。入学時に専攻(major)を決める必要はなく、入ってからいろんなクラスを取りつつ決めていくパターンが多いようです。私は何を勉強したいのか全くわからず、なんとなーく生物かな?と思っていたので Biology の学位をとるために必要なクラスに登録しました。生物、数学、化学などです。それ以外で取れる単位もあるので、アートを取ってみたり、体育を取ってみたり。とにかく、できるだけ英語があまりできなくてもパスできそうなクラスを選んでいました(^^; その後、生物の最初のクラスですでに挫折してしまい、しばらく何を専攻するのか悩んでいました。数学だけは取り続け、その流れで統計学を専攻することになりました。それを決めたのは2年目の終わり頃だったかな。ちなみに統計学と言っても理数系と文系があり、私は難しくないほうの文系です。はい。統計は私の肌にあっていたようで、最後まで楽しみながらやっていました。

☆英語力

英語力については、授業で使う英語と日々の生活で使う英語は別物でした。授業で会話が必要になることはあまりありませんでした。どちらかと言うと、自分で教科書や資料を読んで学んだ部分が大きかったです。テストは最初の1、2年はマーク式のテストが多くて助かりました。たまに記述式の回答で、紙に何ページも書くテストなどは正直言って撃沈・・・でした。

一方、寮に帰るとルームメイトや同じハウスの友達といろんな話をしました。彼らが私にとっての英語の先生でした。レポートのプルーフリードをしてくれたり、私が FootballHootball と発音していると、からかいながらも訂正してくれたり(^^; 発音については、いつの間にかルームメイトの話し方を無意識に真似するようになっていたようで、電話に出るときの「Hello」という声がどちらの声なのかわからない、とルームメイトのお母さんに言われたことがあります。この「真似する」というのは、英語が上手になりたい!という気持ちが強かった私が身につけた術だったのかなぁ。と今になって思います。

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わたしの英語学習暦 その6 ~初めてのホームステイ~
久しぶりにわたしの留学話の続きを書きます。
前回記事はこちら↓
わたしの英語学習暦 その5 ~大学進学~

ハイスクール卒業から大学の新学期が始まるまで、約4ヶ月の長い夏休みがありました。できれば日本に帰りたかったのですが、両親から「帰国は2年に1回」と言われていました。ぼーっと過ごすにはあまりにも長い休みです。夏休みをどう過ごすのか、自分なりに考えました。その時私が一番やりたかったこと、それは「☆ホームステイ☆」。同じハイスクールに、一年間留学していた日本人の子がいて、その子がホームステイしているのがとーってもうらやましかったんです。「私の英語が上達しないのは家で日本語を使っているからだ!」とまで考えていました。今思うと、異国の地で家族でいられることの方が何倍もうらやましいのですが。とにかく当時の私は「早く英語が上手になりたい!」という気持ちでいっぱいでした。両親にそのことを話し、結局、ある私立大学内のESL(Language as a Socond Launguage)に通いながら、ホームステイができることになりました。

ホストファミリーはお父さん、お母さん、子供5人の大家族。

長男:高校生のお兄ちゃん。長男の貫禄あり
次男:同じく高校生。ちょっぴりシャイ
長女:唯一の女の子。バレエを習うキュートな小学生
三男:長女ちゃんと年齢が近い、小学生。二人でよく遊んでいた
四男:まだ3歳の男の子。みんなにかわいがられていた

子供たちは全員ホームスクールで、学校に通わずお母さんと家で勉強していました。そのせいか、家族同士の距離が近いというか、みんなとても仲良しでした。そして、私のこともわが子のように扱ってくれました。ある日、わたしがESLの友達と遊びに行き、帰りがとても遅くなりました。おそらく12時は過ぎていたと思います。帰宅すると、お父さんがリビングで待ってくれていました。私の顔を見ると少し安心したような表情で、「Hi, Yuzumomo.」とだけ言い、自分の部屋に上がっていきました。当時まだまだ子供だった私は何も思わなかったのですが、後になって思うとお父さんの大きな愛情を感じます。そんなステキなファミリーでした。

ESLはハイスクールと違い、たくさんの日本人留学生も来ていました。クラスの初日、ちょっぴり遅刻してしまった私が教室に入るとき、

Sorry, I'm late.

と言ったのですが、後に日本人の友達が、「あの時、ゆずももの発音がうまくてびっくりした!」と褒めてくれました。当時の私は英語コンプレックスのかたまりで、ハイスクールで英語がスムーズに出てこないもどかしさを日々感じ、台湾人の友達と比べて自分の英語力の低さに劣等感を感じていました。「何で1年もいるのにこの程度しかしゃべれないの??」と思っていたので、友達の言葉にはびっくりでした。英語の上達って、自分ではなかなかわからないものですが、客観的にみると少しずつでも上達しているものなんですね。

ESLでは午前中英語を学び、午後は毎日のようにアクティビティーがありました。野球や映画を見に行ったり、泊まりでキャンプに行くこともありました。始めは英語の上達で悩んでいた私も、同じ留学生の中で過ごすことでそんな気持ちはどこへやら。今思うと、大学入学前に、自分の英語コンプレックスが拭えたのはよかったと思います。その後、また大学でネイティブに囲まれた生活に戻るわけですが、夏休み中に日本人留学生や他の国の学生と過ごすことで、いい「中休み」になりました。そして、いよいよ9月からは大学生です。次回は大学生活について触れてみます。

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わたしの英語学習暦 その5 ~大学進学~
久しぶりにわたしの留学話の続きを書こうと思います。

5月になり、ハイスクールはいよいよ卒業です。日本は7月20日ごろまで一学期がありますが、アメリカでは5月末になるともう夏休みです。長かったような短かったようなハイスクールでの一年。無事に卒業の日が迎えられて、ほっとした気持ちだったのを今でも覚えています。

卒業後の進路ついて・・・まさか異国の地で、英語もカタコト、ビザもないわたしに就職先があるわけもなく、それほど勉強好きでもなかったですが、大学へ進学することにしました。あちらでは、高校までが義務教育で、ほとんどの子が大学、もしくはコミュニティーカレッジ(日本でいう短大のような位置づけでしょうか)に進学します。三年生の時に、進路カウンセラーに会ったり、親と一緒に目ぼしい大学に見学に行きました。どの大学がいいかなんてよくわからないので、とりあえず親の住む家からあまり遠くなく(同じ州内)、留学生を受け入れているところで探しました。

入試について
・・・アメリカ人であれば、SATという日本でいうセンター試験のようなものを受けます。わたしは外国人だったので、英語力をはかるためのTOEFL(日本では TOEIC の方が有名ですね)のスコアと、願書を出す際にエッセイ(作文)が必要でした。TOEFL は、TOEIC のように、何度受けてもいいテストなので、高校生のうちに 4、5回受けたような気がします。願書を出したのは5校くらいだったでしょうか。そのうち何校から合格通知が来たかは忘れてしまいました。結局、州で一番有名(いわゆる“University of ○○”という名前)で、親の家からも車で数十分の大学に入れることになりました。ただ、入学時点のTOEFL スコアが基準に満たなかったため、ESL(=English as a Second Language、第二言語として学ぶ英語のクラス)を英語力が基準を満たすまで、通常のクラスと平行してとることになりました。初めは週5時間とっていたような気がします。2学期の終わり(だったと思う)に受けたテストで、英語レベルがクリアになり、それ以降はESLをとる必要がなくなりました。

今思うと、その州最大の大学に行けたのはとてもラッキーでした。しかも、そのまま日本に残っていれば、4年制大学なんて視野に入れていなかったと思うので、大学に進学できただけでもラッキーだったかも(レベル低すぎ?^^;) 大きい大学の方が学部数も多く、留学生も多かったので、その点もよかったです。ちなみに、大学のオリエンテーション(説明会)の日、たまたま一緒に行った日本人の友達がいて、

Can she take the orientation, too?
彼女もオリエンテーション受けていいですか?

と受付の人に聞いたところ、

Sure.
もちろん。

とか言って、そのまま参加し、なんとそのままわたしと同じ時期に入学したのでした!なんともアメリカらしい Flexible な対応!と感動したのを覚えています。次回は、大学入学までの長ーい夏休みについて触れたいと思います。

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わたしの英語学習暦 その4 ~ハイスクールの日々~
わたしの留学話の続きを書いてみます。

英語が話せないまま現地のハイスクールに入ったわけですが、最初の数ヶ月は全てが新しくて、英語が話せない不自由はあっても、精神的にきつい、という感じではなかった気がします。それが、何ヶ月か経つと・・・、きました、ホームシックというやつが。家族と一緒に渡米したので、家に帰れば両親や兄弟がいて、普通に日本語で会話ができます。それでも17歳の女の子にとっては、友達との何気ないおしゃべりができないのがとてもとてもつらかったです。今だったらメールやブログなどでつながっていられたんでしょうけどねー。当時は手紙のみでした。

同じ留学生の子達(韓国人、台湾人、香港人)とはすぐに仲良くなり、映画に行ったり、アイススケートに行ったり、それなりに楽しくやっていました。彼らとの会話はもちろん英語です。留学生同士だと、同じ境遇ということもあり、ネイティブの子達と話すよりも理解しやすく、英語ビギナーの私にはありがたかったです。

一方、ネイティブの子たちは、みんなお化粧バリバリ、授業中でも炭酸を飲み、ガムを食べ・・・。カルチャーショックの連続です。言葉と文化の壁があるのに、そんなに簡単に友達ができるはずもありません。それでも、たまにやさしい感じの子が声をかけてくれたり、少人数のクラスの中では少しずつですがそれなりの会話はしていました。

初めて、ネイティブの子で友達になったのは、1学年下の女の子二人(あちらでは、それほど「学年ごと」という意識がありません)。クラブ活動を通じて仲良くなり、その二人を家に招待して和食をご馳走したり、一緒にクラブの自主練習をしたり。クラブ活動は、友達を作るうえでとてもよかったと思います。クラブの友達の家に集まる事もありました。一年という短い期間だったので、私の中でも「楽しまなきゃ」という意識があり、積極的にクラブ活動などに参加していたのかもしれません。

おそらく、ハイスクール卒業時の自分に今会えたら、あまりのひどい英語におどろくと思います(笑)。飛躍的に伸びたのは、やはり大学に入ってからかなー。追って、大学生活についても触れていこうと思います。

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